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隅田公園
日本庭園

隅田公園の桜

墨田区・ ウェブサイト・隅田公園
 向島一丁目付近は、江戸時代には小梅村と呼ばれる農村地帯でした。
元禄六年(1693)、水戸徳川家は幕府からこの地を拝領し、下屋敷が置かれました。
 明治維新後、この下屋敷水戸徳川家の本邸となり、「小梅亭」と呼ばれることになり
ました。しかし大正十二年(1923)の関東大震災で焼失し、その跡地は隅田公園と
して生まれ変わりました。
小梅亭門
明治天皇「花ぐわし」の歌碑

 表には、「花くわし櫻もあれと此やとのよゝ
のこゝろを我はひとり」と明治天皇の歌が刻ま
れています。この歌は明治八年(1875)
四月四日に明治天皇がこの地を訪れた際に詠ん
だものです。
 この場所は、かって徳川昭武(水戸徳川家)
の屋敷であり明治天皇が幾度も訪れました。
そのことを記念して、昭和五年(1930)
関東大震災の後に開園した隅田公園内に子孫で
ある徳川圀順が建碑したものです。

正気歌碑

 江戸末期の尊皇攘夷論者として知られた水戸
藩士藤田東湖の歌碑である。「天地正大の気粋
然として神州に鍾る。秀でて富士の嶽となり巍
々として千秋に聳ゆ」と、日本古来の国体を賛
美した「正気の歌」は、弘化二年から三年間、
小梅の水戸藩下屋敷に幽閉されているときにつ
くられたものである。東湖は、文化三年(18
06)水戸に生まれ、安政二年(1855)の
大地震のときに、五十歳で不運な死を遂げたが、
この歌は水戸藩のバイブルとなり幕末志士を鼓
舞し、明治、大正、昭和の初期まで愛国の士の
血をわかした。この碑は、昭和十九年6月東湖
会が建立したものである。

墨田区向島一丁目三番 隅田公園内
 作家、堀辰雄は明治三十七年(1904)
千代田区平川町に生まれましたが、同三十九
年故あって母志気(しげ)と共に生家を出て、
向島小梅に移り住みました。
 同四十一年、母が上条氏と再婚したため須
崎町の岡家に入り、四十三年、ここの正面に
住むようになりました。
 ここから牛島小学校(本所高校の位置)へ
通い、やがて府中三中、一校、東大へと進学
しています。夫人多恵氏の「道の花」に
「向島の家はなつかしい。今は建て直してす
っかり外観を異にしてしまったが、あの竹の
植わっていた小さな玄関ーー辰雄はそんな自
分を「雀のお宿」と呼んでいた・・・」と記
ています。
 辰雄は、「風立ちぬ」などすぐれた短編小
説をのこしていますが、「菜穂子」のような
本格的長編もあり、独自に孤高の文学の世界
を築きました。
堀 辰雄 住居跡

所在地 墨田区向島1-7-6(正面の住所)

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