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目黒区の寺散策

天台宗・大円寺

東京都目黒区下目黒1−8−5(山手七福神・大黒天)

大円寺
大円寺(天台宗)

 この寺は「松林山大円寺」といいます。寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂
(行人坂)を切りひらき、大日金輪を祀って祈願(いのり)の道場を開いたのがその
始まりと伝えられています。
 本寺には、”生身の釈迦如来”と言われている木造「清涼寺式釈迦如来立像」(国指定
文化財)、木造「十一面観音立像」(区指定文化財)、徳川家の繁栄と江戸発展守護の
ための「三面大黒天像」(山手七福神の一つ)などが安置されています。
 明和9年2月(1772)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出しましたが、
その供養のために造られた「釈迦三尊・十六大弟子、五百羅漢の像等の「大円寺石仏
群」(都指定文化財)が建てられています。また阿弥陀堂には「木造阿弥陀三尊像」
(区指定文化財)や八百やお七の火事にまつわる西運の上人の木造、お七地蔵などが
祀られています。
 境内には「行人坂敷石造道供養碑」(区指定文化財)、「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」
(区指定文化財)、西運の墓、などがあります。
 江戸の面影を残している行人坂の景観や老樹古木のしげる境内は緑の自然と古い歴史
が薫る静かな美しい浄域を守っています。

生身の釈迦如来立像

 京都清涼寺の釈迦如来像の模刻。鎌倉時代には、釈迦信仰の復古的な高潮によって盛ん
に作られました。大圓寺の釈迦如来像は、胎内から鏡や結縁者戒名等を記した紙片・女性の髪
・木札などが発見され、鏡には、「建久四年舟治氏乙犬丸」線刻銘があり鎌倉大仏を鋳た舟治
氏と同姓の工人の名が記されています。
年代の明らかな清涼寺式釈迦像の中でも建久四年(1192)は最も古い釈迦像です。
 生身(しょうじん)の釈迦像として、像の胎内には人間の胎内にあるのと同様の五臓が絹や
綿の布で作られ、文書や経巻、宝玉などとともに納められています。

大円寺石仏群

明和9年(1772)2月に江戸市街地を焼いた大火があり、火元と見られたのが
大円寺であった。
大円寺では焼死人々を供養するために、天明頃(1781〜9)境内に
五百羅漢像等を建立したと「新編武蔵風土記稿」は記述している。
しかし、判読できる銘文によると、明和の大火で死亡した者のみの供養では
なさそうであるが、
江戸災害史の貴重な記念物であることには変わりない。

拡大図
西運上人の石碑
阿弥陀堂
行人坂
 寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、
このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めまし
た。しだいに多くの行人が集まり住むようになっ
たので、行人坂と呼ばれるようになったといわれ
ています。
西運上人の墓
目黒側架橋供勢至菩薩石像

 下から台座、蓮座、頭上に宝瓶(ほうびょう)のつ
いた宝冠をかぶり、両手合掌、半跏趺座(はんかふざ)
の勢至菩薩像の3段になっています。台座の全面と両
側面に、江戸中期における目黒川架橋のことを語る銘
文が刻まれています。
 銘文によると、宝永元年(1704)に西運という僧
が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、往復の途中江戸
市民の報謝をうけ、両岸に石壁を築いて、雁歯橋を架けた
ことがわかります。
 目黒川架橋の史実を物語る貴重な資料です。

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