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飛鳥山公園

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北区王子一丁目1番
飛鳥山公園の歴史

 飛鳥山公園は、明治六年に定められたわが国最初の公園の一つです。
 この公園のある台地は、上野山から日暮里、田端、上中里と続いている丘陵の一部です。このあたりは、
古くから人が住んでいたらしく、先土器時代(日本で最も古い時代)縄文時代、弥生時代の人々の生活の
跡が発見されています。
 ここを飛鳥山と呼ぶようになったのは、昔この丘の地主山(現在の展望台の所)に飛鳥明神の祠が祀ら
れていたからと伝えられています。
 江戸時代の中ごろ元文二年(1737)徳川八代将軍吉宗が、この地を王子権現に寄進し、荒地を整備
して、たくさんの桜や松、楓などを植えたので、それからは桜の名所として有名になり付近に茶屋なども
できました。
 飛鳥山のお花見は、向島とともに仮装がが許されていたので、まるで落語にでてくるような、仇討ちの
趣向や変装などのためにたいへんな賑わいでした、又、東側の崖からは、カワラケ投げも行われ、土皿を
風にのせて遠くまで飛ばす遊びも盛んでしたが、明治の末になって危険防止のため禁止されました。
 この山は、東から西へのなだらかな斜面でしたが、道路拡張のにためにせばめられ、さきに中央部につ
くられて広場の跡地に噴水ができ、夜は五色の光に輝いています
                                    東京王子ロータリークラブ

多目的広場
噴 水
児童エリア
東京都指定有形文化財(古文書)
飛鳥山の碑

 八代将軍吉宗は、鷹狩り際にしばしば飛鳥山を訪れ、享保
五年(1720)から翌年にかけて1270本の山桜の苗木
を植栽した。元文二年(1737)にはこの地を王子権現社
に寄進し、別当金輪寺にその管理を任せた。このころから江戸庶民にも開放されるになり、花見の季節は行楽客で賑わう
ようになった。
 この碑文は、吉宗が公共園地として整備したことを記念し
て、幕府の儒臣成島道筑(鳳卿・錦江)によって作成された
もので、篆額は尾張の医者山田宗純の書である。
 碑文の文体は中国の五経の一つである尚書(「書」または
「書経」ともいう)の文体を意識して拡張高く書かれて折り、吉宗の治世の行き届いている太平の世であることを喧伝したものと考えられる。碑文には元享年中(1321〜3)に
豊島氏が王子権現(現在の王子神社)を勧請したことから、王子・飛鳥山・音無川の地名の由来を、土地の人々がこれを
祀ったこと、寛永年間に三代将軍家光がこの地に改めて王子
権現社に寄進した経緯などが記されている。
 異体字や古字を用い石材の傷を避けて文字斜めにするなど
難解な碑文であり、
 「飛鳥山何と読んだか拝むなり」と川柳にも読まれたほど
江戸庶民から難解な碑文としてよく知られている。

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