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東京散歩・東京散策
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都選定歴史的建造物
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20 東京都慰霊堂
所在地 墨田区横網 二丁目3番25号 建 物 建設年 昭和 5 (1930) 構造・規模 木造一部 SRC造 3階 最寄駅 ・JR 総武線 両国駅 概 要 東京の防災シンボル。仏教寺院風の三重の塔は地域のランドマーク。 |
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| 東京都慰霊堂・震災記堂 由来記
大正十二年九月一日、突如として関東に起こった震災は、東京市の大半を焦土と化し、 |
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| この弔霊鐘は、関東大震災により遭難死した死者追悼のため、中国仏教徒の寄贈によるものである。 震災の悲惨な凶報が伝わった中国では、杭州西湖の招賢寺及び上海麦根路の玉仏寺で、それぞれ念 仏法要が営なまれ、中国在留の同胞に対しても参拝を促した。 また各方面の回向が終わったのちは、「幽冥鐘一隻を鋳造して、これを日本の災区に送って長年に 亘って撃撞し、この鐘声の功徳によって永らく幽都の苦を免れしめむ」と宣言した。 その後災情が日を経るに従い甚大であることが明らかになったので仏教普済日災会の代表二名が来日 し、京浜両地区の慰問を行い、これと同時に我が国の外務大臣並びに仏教連合会に梵鐘の寄贈を申し 出たものである。 その後、震災記念堂の計画確定によりこの鐘を横網町公園に安置することになった。 なお、このことについては上海の王一亭氏の特段の尽力があった。 |
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| この記念像は、大正十二年九月一日午前十一時五十八分、関東地方に発生した大地震により 不幸にして災害に遭い死亡した小学校児童約五千人の死を悼み、この不遇の霊を慰めかつ、忌 わしむることと、永く当時を追憶し、その冥福を祈るため、当時の学校長等が中心となり、忌 魂碑建立を企画し、第五回忌辰に際しこれを発表した。それに共鳴るする者が十八万二千二十 七名に及び、その醵金は、一万四千六十六円四十七銭にも達した。 その基金で、彫刻家小倉右一郎氏に制作を委託し、完成後当時の財団法人東京震災記念事業 協会に寄付し、その後東京都に引き継がれたものである。 なお、この悲しみの群像は、昭和十九年第二次世界大戦たけなわのころ、戦力増強の一助と して、金属回収の禍いを受け撤去され、台座だけがむなしく遺されていたが、昭和三十六年に 当初の作者、小倉右一郎氏の高弟である、津上昌平、山畑阿利一の両氏によって、往時の群像 を模して、再建されたものである。 |
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